ヤン・ウェンリー


同盟軍の宇宙艦隊最高司令官

-「奇跡の(ミラクル・)ヤン」

 

ヤン・ウェンリーYang Wen-li、宇宙暦76744 - 宇宙暦80061日)は、銀河英雄伝説の自由惑星同盟側主人公。物語の語り部的存在とも呼ばれる。


なお、その名はE式(東洋式)表記であり、東洋系(正確には中仏混血)の容貌。本来の表記ともいうべき本作の中国語訳では「楊威利」、「楊文理」、「楊温利」などの字が当てられる。ちなみに、ラインハルトは「萊因哈特」と言う字が当てられる。


外見

[編集] 容姿

体格は中肉中背、容姿は実年齢より23歳若く見え、軍人というよりは学者のような印象を受ける。頭髪はおさまりの悪い黒髪…といった表現が作品内で登場する。


[編集] 容貌

原作小説において、「見る人によってはハンサムに見えなくも無い」といった記述が見られる。


道原かつみのコミック版では、美男子の部類に設定されている。ただし同時に軟弱で頼りないイメージであり、一応原作の描写は踏まえている。らいとすたっふ監修「全艦出撃!!」第2巻に収録された道原かつみのコメント「なぜヤンがハンサム なったか」には、「黄金の翼を執筆する時点で、道原はヤンをハンサムには設定していなかった。しかし周囲の様々な意見もしくは非難によって徐々にキャラク ターを改修していった」という内容の記述がある。また、コミック版あとがきには「原作者である田中芳樹をモデルにしようとしたら、担当編集者及び田中芳樹 本人から猛反対を受けた」との記述もある。


原作小説では、表情を隠すためなど、サングラスを使う例が見られる。アニメ版では、ヤンに限らず眼鏡類の使用は見られない(例外は銀河帝国貴族の一部が使用する片眼鏡)。漫画版では、軟弱に見えるヤンがサングラスを使用すると格好よく見えるため、ヤンを賞賛する報道ではサングラス姿のヤンの画像が流されるという演出がなされている。


[編集] 身長・体重

OVA版の外伝・螺旋迷宮で示された身分証明証によると、21歳の時点で身長172cm、体重65kg。なお原作での彼の身長は176cm(明確には記述されていないが、フェザーン脱出時のユリアンの身長に関する記述で「身長は176cmに達しヤンと並んでしまった」と書いてある)。

[編集] 略歴

宇宙暦767年生まれ。5歳の時に実母であるカトリーヌ・ルクレール・ヤンが死亡。星間交易船の船長であった父ヤン・タイロンの元で育った。早くから歴史研究家になることを志しており、商売人になる事を薦める父親を説得して歴史研究のために大学進学をすることを認めてもらった。しかしその直後、父親が事故死したため無一文になってしまい、学費の捻出ができなくなってしまう。

15歳の時、無料で歴史を学べるという理由から、同盟軍士官学校戦史研究科に入学。しかし在学中に戦史研究科が廃止となり、戦略 究科に転科させられている(ただし戦略研究科は同盟軍の士官学校ではエリートコースであり、このころから既に同盟軍はヤンの素質に対して一定の評価をして いた。アニメ外伝「螺旋迷宮」でヤンに転科を指示した教官の発言から、後述のマルコム・ワイドボーンとのシミュレーション戦闘の結果が反映されている事が 判明している)。

士官学校卒業後、同盟軍に少尉の階級で任官。勤勉とは言えない勤務態度から、「ごくつぶしのヤン」「無駄飯食いのヤン」などと呼ばれるが、宇宙暦788年(21/中尉)、惑星「エル・ファシル」から300万人の民間人を救出したことで立場が変転、少佐に昇進し、さらに「エル・ファシルの英雄」と賞賛されて世の注目を浴びることとなった。なお、この時にヤンが救出した民間人の中に、後に妻となる当時14歳だったフレデリカ・グリーンヒルがいた。

その後も、本人の「退役し歴史研究家になる」という意志とは裏腹に、最前線において武勲(あるいは奇功)を重ね軍人として栄達していく。

宇宙暦796年、アスターテの会戦で負傷した艦隊司令官 エッタの後を受けて第2艦隊を指揮、(原作小説では)初めてラインハルトと砲火を交え、その奇策で艦隊を全滅の危機から救った(なお、劇場アニメ版「わが 征くは星の大海」では、795年の第4次ティアマト会戦において両者は対峙している。「大海」でのヤンは戦艦ユリシーズに搭乗して単艦敵陣に潜入、同盟軍 にとどめを刺そうとしたラインハルトの旗艦ブリュンヒルトの艦底にコバンザメのように密着、ラインハルトを艦ごと人質に取る荒芸で味方が殲滅されるのを防いだ。アニメ版では、この一件でラインハルトとヤンは互いの名を知り、その存在を互いに意識した)。

アスターテ会戦より帰還後、政府及び軍部の思惑で少将に昇進、アスターテの残存兵力をまとめ、新規兵力を加えて新設された第13艦隊(5400隻・将兵70万人の為、半個艦隊と称される)初代司令官に任ぜられる(その際にフレデリカ・グリーンヒルが副官として着任した)。

同年514日、第十三艦隊の最初の任務で、難攻不落といわれたイゼルローン要塞を術策によって陥落させ、中将に昇進。第13艦隊も第2艦隊の残存兵力が加わり1個艦隊として再編成される。この功績から、「魔術師ヤン」「奇跡の(ミラクル・)ヤン」と評されるようになった。

同年行われた「同盟軍の帝国領侵攻」で第5艦隊とともに帰還を果たした後大将に昇進、「イゼルローン要塞司令官・兼・イゼルローン駐留艦隊司令官・同盟軍最高幕僚会議議員」という身分を得てイゼルローン要塞に赴任。

宇宙暦799年、「ラグナロック作戦」の過程でイゼルローン要塞を放棄しハイネセンに帰還した時点で(同盟軍史上最年少の)元帥に昇進、同時に戦略・戦術面の自由な裁量をアイランズから保証され、艦隊を再編成して出動、様々な術策を駆使してカール・ロベルト・シュタインメッツヘルムート・レンネンカンプアウグスト・ザムエル・ワーレンといった帝国の将帥/艦隊を相手に次々に勝利し、バーミリオン星域会戦ではラインハルト・フォン・ローエングラムに戦術面で勝利した。しかしブリュンヒルトを攻撃する直前に同盟(ヨブ・トリューニヒト)から戦闘停止の命令と無条件降伏の通達があり、ヤンはシェーンコップら一部幕僚の反対意見を却下して戦闘を停止した。

停戦後に行われたラインハルトとの会談で、帝国元帥の座を用意して引き抜こうとした新皇帝ラインハルトの誘いを謝絶し、525日にバーラトの和約が締結されると退役、一市民として生きる道を選ぶ。6月には副官であったフレデリカ・グリーンヒルと結婚した。

7月、オーベルシュタインレンネンカンプの策謀により扇動された同盟政府に暗殺されかけるが、ヤン艦隊の仲間に救出され、逆にジョアン・レヴェロとレンネンカンプを拉致して同盟政府と交渉し、25日にハイネセンを脱出、一時的に身を隠す。同年12月、エル・ファシル独立政府に身を寄せ、革命軍を組織してイゼルローン要塞を奪還

宇宙暦800年の「回廊の戦い」の後、皇帝ラインハルトとの会談に向かうが、その途上、地球教徒のテロリストに襲撃され、61日午前255分、ビーム銃による銃撃で左脚股部動脈出血多量を起こし死亡。享年33

[編集] 能力

卓絶した戦場の心理学者であり、魔術的な戦術を弄した。ただし戦術に溺れる事なく、戦術的勝利で戦略 不利を覆す事ができない事をよくわきまえていた。寡兵で大軍に勝利する事を繰り返しながらも、それを邪道とし、あくまで戦の本道は敵より多数の戦力を備え る事だと主張したのも、その一例である(多数兵力は戦術的には敗因になる「場合がある」という反対意見というより修正意見は、敵手たるミッターマイヤーの ほうが主張している)。そのため本質は戦略家であったとされるが、あくまで机上のものであり、戦略家としての具体的実績は示していない。敵手であるラインハルトの作戦をその優れた戦略眼で先読みした事はあるが、同盟軍での地位と立場、シビリアン・コントロールの考えから、その戦略能力を活かす機会を与えられず(活用せず)に終わった。

卒業後の武勲・戦歴に比して士官学校時代はごく平凡な成績であった。それは戦史や戦略、戦術などの得意分野で高い成績を収めたものの、興味のない分 野には可能な限り手を抜いていた為(査問会において提示された士官学校時代の成績によれば、「戦史」98点、「戦略論概説」94点、「戦術分析演習」92 点に対し、「戦闘艇操縦実技」と「機関工学演習」が59点、「射撃実技」は58点)である。士官学校は一科目でも赤点(55点以下)を取れば退学であった 為一時は卒業も危ぶまれたらしい。卒業時の席次は4840名中1909番(キャゼルヌはこれを「中の下」と表現した)。

軍事的な能力を最初に表したのは、士官学校の戦略・戦術シミュレーションの授業に於いて、学年首席だったマルコム・ワイドボーンに勝利した時である。補給 を分断して相手の戦闘能力の衰弱を待つという合理的だが「軍事ロマンチシズムに反する手法」を採用した為、戦闘そのものでは優位だったワイドボーンは自分 の負けを認めなかった。ただし、戦略・戦術において補給は最重要視すべき要素の一つであり、そこに攻撃を加えることは戦術においては奇策というよりは基本 中の基本とも言える。ヤンが戦略研究科に転科を命じられた際の教官の発言からも、教官側はワイドボーンの主張を受け入れず、ヤンは間違いなく勝利した、と いう判定がなされた事が判明している。

具体的に軍隊において最初にその才覚を表したのは、宇宙暦788年の惑星エル・ファシルでの民間人救出時である。当時は中尉だったが、この功績によって少佐に昇進した(ただし生者に二階級特進は無いという不文律から、9191025分に大尉、同日1630分に少佐に昇進する辞令を受け取った。生涯で最も短い期間が大尉、最も長い期間が少佐とされている)。また、この功績は同盟軍の宣伝により世間に広く知られ、「エル・ファシルの英雄」と讃えられる事となった。

帝国側の主人公であるラインハルトがヤンの存在と能力を認識したのは、原作小説ではアスターテ会戦。アニメでは劇場版第一作で描かれた第四次ティアマト会戦の時。これ以降、ラインハルトはヤンを注視し、第13艦隊の司令官に就任した時点でも、その才華が自分にとって軽んずるべきものでは無いという意味の懸念をキルヒアイスに告げている。この懸念は的中し、以後、ラインハルトはヤンとの直接的な戦いで遂に勝利する事が出来ず、配下の将帥もことごとく敗退、さらにはケンプファーレンハイトシュタインメッツなどの重臣を戦死させられてしまう。

帝国上層部がヤンの存在を重視する様になったのは、当時は半個艦隊だった第13艦隊がイゼルローン要塞を無血占領した時。それ以前のアスターテ会戦での功績等は上層部でも噂になっていた(ラインハルトが元帥に就任した時の雑談より)が、この時点で具体的な対応がなされたという記述は無い。

バーラトの和約以後は、その才能が逆に、味方であるはずの同盟上層部の不安材料となり、暗殺されかかった為ハイネセンを脱出しなければならなくなる。また、亡命したエル・ファシル独立政府からも全面的な信頼は得られず、イゼルローンの再奪取作戦においては直接指揮を執る事を却下された。しかしこれは後輩であり部下であるアッテンボローを後方から督戦させる経験を積ませる意味もあったので一概に不本意でもなかったようである。

後世、ヤンは同盟軍の宇宙艦隊司令長官や最高司令官の地位にあったと言われがちだ(と作中において設定されている)が、同盟軍在籍時代はそのような 地位にはついておらず、最終的にはイゼルローン要塞司令官及び駐留艦隊司令官のままであった。後にエル・ファシル革命政府に合流した際は、「革命予備軍最 高司令官」の地位を与えられたが、その肩書きに実質的意味があったかどうかは疑問符がつく。またヤンのイメージとして後方で全軍を統括、指揮する軍師 ようにも言われるが、実際は前線で陣頭指揮を取ることが大半で、後方から指揮を取ったのは上記のイゼルローン再奪取作戦が最初かつほぼ唯一の例であり、軍 師らしき活動としては上官であるビュコックに救国軍事会議のクーデターを予見する意見具申をした程度に留まる。帝国軍の「ラグナロック(神々の黄昏)作 戦」以降は実質上全軍を指揮し得る権限を与えられたが、その時は既に同盟軍の過半以上が失われ、後方から指揮するほどの艦艇も、ヤンに代わるような有能な 前線司令官も存在せず、ヤンは最前線で戦わざるを得なかった(ミュラーと言葉を交わした際、ヤンはミュラーが同盟に生まれていたら、自分は昼寝をしていら れたのにとぼやいている)。ゆえにヤンが戦場で指揮した艦艇は最大でも3万隻に及ばず(数だけで言えばラインハルトやキルヒアイス、双璧にも及ばない)、 ラインハルトなどからはヤンに数個艦隊を指揮させたらどれだけのことが出来るのかと言われていた(無論、ヤンが数個艦隊を指揮する機会が無かったのは、ラ インハルトが政略・戦略的に先手を打っていたためでもある)。

ラインハルト・フォン・ローエングラムの「常勝」に対し、「不敗」と評される。現に、アスターテ会戦などの敗北が確定してから敗残処理を押しつけられたケースではなく、最初から彼が指揮した戦闘においては、バーミリオン星域会戦を例外として一度も敗れた事は無く、そのバーミリオン星域会戦においても「戦場では勝っていた」とされる(ただし、ヤン自身は戦術より戦略を重視する立場から、自分のほうが敗北したと認識していた)。最終的に不敗のまま、テロリズムに倒れて生涯を終えた。

戦場においては卓越した心理的洞察を示したが、対照的に私生活レベルにおいては対人関係において稚拙さを見せており、それが最大の弱点である。そのため同盟の政治家から疎まれ、あるいはレンネンカンプに疑惑を抱かれる結果になっている。レンネンカンプとは全く違った意味で、軍事を離れると途端に視野が狭くなったと言える。

[編集] 人柄

本来は歴史研究家志望で、権力者や戦争、軍に対する嫌悪と、軍人としての自身の存在に懐疑を抱き続け、「矛盾の人」と評されるが、「自由と民主共和制」への思いは変わらず、後世にその萌芽を残す。

安定した人格と包容力の持ち主ではあったが、嫌いな人間に対しては割と意固地で、「温和な表情で辛辣な台詞を吐く」とも言われた。特に権力者や、後方にいながら戦争を賛美するような人物に対しては容赦がない。

事有る毎に退役後の「年金」を気にする発言を行っており、作者の田中芳樹 それを指して「問題児」と称していた。ただし、決して年金として得られる金銭に執着していたのではなく、軍人という職業からの解放を強く望んでいた事、市 井の歴史家として悠々自適の生活を送る事に強い憧れを抱いていた事などから、労働を伴う事無く収入を得られる年金という「制度」に執着していたようであ る。作中にも、もし打算を最優先させていたら、ヤンの立場と見識から考えて、間違いなくラインハルトの配下になるだろう、という意味の記述があり、金銭や 名誉・地位への執着は全く無い。むしろ金銭や名誉・地位を得るための「勤勉」を忌避していた様子が伺え、作者の言う「問題児」というのは、むしろ「怠惰」 の事を指していると思われる。

部下を深く信頼する人物であり、部下からの人望も厚かった。更に、本来は敵である帝国側の提督達からさえも一目置かれ、時に尊敬を思わせる発言を口 にする者もいる。キャゼルヌ、シェーンコップ、ポプランらヤン艦隊の毒舌家メンバーからは好き放題に言われ、その様子はユリアンに「こんな裏切り者達を引 き連れてよく勝ってこれたものだ」と評されているが、それは人望と包容力があったことの裏づけである。その反面、当時の同盟政府、特にトリューニヒト派か らは、思想や政権への服従心の乏しさから危険分子扱いされ、最後には非トリューニヒト派の代表格であったレベロにまで疎まれ、同盟を脱出することにもなっ た。

家族は当初、被保護者のユリアン(ア ニメ版のみ登場、「元帥」という名前も設定されている。小説版では猫は飼っておらず、むしろペットというものを忌避する発言さえしている)だけであった が、後に副官であったフレデリカ・グリーンヒルと結婚する。フレデリカに対しては赴任してきた後、割と早くから好意を抱いていたようだが、軍人として敵味 方を含め多くの人間を死に至らしめている自分が家庭的な幸せを得る事への違和感、二人の年齢差が、その想いを伝えることを躊躇させていた。バーミリオン会 戦を前に想いを打ち明け、その際フレデリカから自分の両親も年齢差があったことも告げられた。

他に学生時代はジェシカ・エドワーズに対して好意を寄せている様子が見られたが、親友のラップが同じ想いを感じていると察知し、譲る形で身を引いた。ただし明確には語られていないが、ジェシカの方はむしろヤンに強い想いを感じていた様子が伺える。

大の紅茶党であり、特にブランデー入りの紅茶を好んでいた(酒好きなため、時に「紅茶入りのブランデー」になっていたことも)。また、風邪を引いた時にユリアンが作ったホット・パンチのエピソードから、赤ワイン

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